為什麼好萊塢在拍日本背景的電影(為什麼日本電影追不上好萊塢和韓國電影)
2023-06-01 21:06:38
為什麼好萊塢在拍日本背景的電影?ハリウッドや韓國映畫に大きく水をあけられ、低迷が続く日本映畫界,我來為大家科普一下關於為什麼好萊塢在拍日本背景的電影?下面希望有你要的答案,我們一起來看看吧!

為什麼好萊塢在拍日本背景的電影
ハリウッドや韓國映畫に大きく水をあけられ、低迷が続く日本映畫界
被好萊塢和韓國電影遙遙領先,持續低迷的日本電影界
ハリウッドや韓國映畫に予算や規模で大きく水をあけられ、長らく低迷が続いている日本映畫界は、長引くコロナ禍や相次ぐ性加害報道が追い打ちとなり、今まさに大きな岐路に立たされている。なぜ日本ではハリウッドや韓國映畫のような世界的大ヒット作が生まれないのだろうか。「パッチギ!」などの代表作で知られる井筒和幸監督に、日本映畫の可能性と限界を聞く。
由於好萊塢和韓國電影在預算和規模上遙遙領先,長期處於低迷狀態的日本電影界因長期的疫情影響和接連的性傷害報導而陷入困境,現在正處於巨大的十字路口前。為什麼日本拍不出像好萊塢和韓國電影這樣的全球熱門作品呢?我們向有著《無敵青春》等代表作的井筒和幸導演詢問了日本電影的可能性和界限。
――日本映畫の現狀について。
—關於日本電影的現狀。
「日本映畫は日本経済と一緒でまったくダメ。手堅く稼ごう、とにかく採算取れたらいいとしか考えてないから。映畫なんてのはもともと大バクチなのに、リスクを分散させてばかりで、バクチ的な思考が消えてしまったね。最初から製作費を回収できるものにしか手をつけない。大手の出版社から100萬部出てる、漫畫も売れてます、適當なアイドル系かトレンド役者を使ってあんまり予算もかかりません。3億円規模の小っちゃな映畫ばっかりだよ。誰と戀して、誰が死んで、犯人が捕まったとか、ごまんとあるウソまみれの話。しみったれてるよ。
「日本電影和日本經濟一樣完全不行。就只想著賺錢,總之能盈利就好了。電影本來就是個豪賭,但只想著分散風險,賭博的想法消失了。從一開始就只想著回收製作費。大型出版社出版了100萬部,漫畫也很暢銷,隨便找個偶像系或人氣演員也不需要太大的預算。都是3億日元規模的小電影。誰和誰戀愛,誰誰死了,犯人被抓住了之類的,滿是謊言的故事。不夠大氣。
韓國にもいつの間にか完全に出し抜かれた。韓國は製作費がかかろうが今までにない面白い話なら作ってみろよとリスクを取って冒険させる。日本にも昔はそういう人がいたけど、今のプロデューサーはみんなサラリーマン。ただの月給取り、自分がいかに社內でポジションを守れるか、首切られないかとそればっかりだよ」
韓國也在不知不覺中完全超越了日本。韓國不管制作費如何,如果是前所未有的有趣的故事,也會放手去做。日本以前也有這樣的人,但是現在的製片人都是上班族。只是為了拿工資,想的是自己如何在公司內守住職位,不被解僱,都是這樣。「
――なぜ日本映畫はリスクを取らなくなったのか。
—為什麼日本電影不再冒險了呢。
「狸の皮算用で失敗ばっかりしてるからだよ。日本映畫はそういう投機的な、冒険主義の時勢じゃなくなったということ。今はみんな會社同士の、委員會制で金を集めてリスクを分散させる時代。3億円の映畫を2000萬ずつ15社で分擔すれば、たかが2000萬だから、コケたって痛くもかゆくもない。欠損処理だから15社の意見を聞いて、宣伝になればいいやとつまらん映畫ばっかになるんだよ。
「都是因為如意算盤總是失敗。日本電影已經不是那種投機取巧、冒險主義的時代了。現在都是公司之間通過委員會制籌集資金來分散風險的時代。3億日元的電影由15家公司分擔每家承擔2000萬的話,只不過2000萬,所以即使不如意也不痛不癢。因為損失處理,所以要聽15家公司的意見,只要宣傳好就行了,淨是無聊的電影。
まあ、80年代で終わったんじゃないかな。俺らが角川で撮ってたのが最後。角川のオーナーは冒険主義で、どこの馬の骨かも分からない新人監督たちに大枚はたいて好き勝手にいろいろとやらせてくれた。その代わり、投入したものは絶対に回収するぞ、當ててやるぞというすごみ、勢いがあった。ハイリスクハイリターンという考え方は角川時代で終わったね。その時代が戻ってくること? もうないでしょ。獨立映畫プロデューサーが出てこない限り。みんな會社勤めのサラリーマンばっかりだから、役所と同じ、自分の保身しか考えてない。そりゃそうでしょ、適當に小銭商売できてりゃいいんだから」
不過,80年代已經結束了吧。我們最後拍攝是在角川。角川的老闆是冒險主義,可以傾其所有讓不明來歷的新人導演隨心所欲地做事。與之相對,投入一定會有回報的,我一定會猜中的之類很有氣勢,驚人的想法。高風險高回報的想法在角川時代就結束了。那個時代還會回來嗎?已經不會了吧。除非能出來獨立電影製片人。大家都是在公司上班的上班族,所以和政府機關一樣,只考慮保住自己的飯碗。是啊,隨便做點小本生意就好了。「
――獨立映畫プロデューサーが出てくるためには何が必要なのか。
—獨立電影製片人的出現需要什麼。
「金なんか持ってなくたっていいんだよ。借りてくる能力があれば。ハリウッドのプロデューサーって、オールアナザーマネーって言って、私財を投じて映畫なんか作らない。全部他人の金、日本だってそれが基本。ヘッジファンドと一緒で、他人から100億借りて企業をM&A(買収)してショーをする。借りる能力っていうより、簡単に言えばだます能力だな。
「沒錢也沒關係。只要有能力借就好了。好萊塢的製片人,都用公有資金,不會投資私人財產製作電影。全部都是用別人的錢,日本也是基本如此。和對衝基金一起,從別人那裡借100億收購企業表演。與其說是借的能力,簡單來說,是欺騙的能力。
昔からだけど、金を出す方は出す方で、餘ってるとか、何かの名目に充てた節稅対策だとか、留保金を何とかしないといけないとか、稅務署に持ってかれるくらいなら自社の宣伝費で遊んでやれとか。いわゆる資本家、資産家のような、あぶく銭を出してくれる人がいないとどんなプロデューサーでも成り立たない。複數の事業を展開してて、ポンと何十億も投げうってくれて、『あの映畫は俺が作ったんだ!』って。これがハリウッドの世界だよ。映畫自體に価値があって、これを作る権利を買うんだという考え方が日本にはない。だから何千萬でも回収しなきゃと思っちゃう。対価を払って権利を買ったはずのに、それを失ったと思っちゃうんだよな。だから大眾娯楽主義をはびこらせるしかなかった。
雖然是很久以前的事了,但是出錢的人是出錢的人,可能是有富裕的,可能是用來充當什麼名目的合法避稅對策,或者是不得不當作保留金,如果拿去交稅的話,不如就用作自己公司的宣傳費花銷吧。也就是如果沒有像資本家、資產家那樣願意出不義之財,任何製片人都不能成立。展開多個事業,砰的一聲投了幾十億,說出「那部電影是我做的!」。這就是好萊塢的世界。電影本身就有價值,日本沒有購買製作這個的權利的想法。所以不管幾千萬都要回收成本。明明是付出對等代價買了權利,反倒覺得失去了。所以大眾娛樂主義橫行。
クラウドファンディング? しょんべんみたいな話だよ。人様から2萬円ずつもらって、ちりも積もれば1000萬円になりました、エンドロールで500人のクレジット出しましたって、そんな映畫見たくもないだろ。そんなのどっかの市民ホールでかけて終わりよ。そんなみみっちい話じゃないはずなんだよ、本當は」
眾籌?聽起來很簡單。每人出2萬日元,積少成多的話也能湊出1000萬日元,在最後的演職員表上寫500個人的名字,你也不想看那樣的電影吧。這種剛在某個市民大廳播出就結束了。不應該是那麼小氣的事情,真的「
「小説や漫畫を元にしたウソ話ばかり」 日本で骨太な作品が生まれないワケ
「都是改編自小說和漫畫的謊言」在日本沒有紮實作品的理由
――國外の資本家に投資してもらうことは。
—請國外資本家投資。
「それもできないな。日本は英語圏じゃないから。英語圏は元からハイリスクハイリターンが成り立つのよ。世界中で上映できるわけだから。米軍って世界中に150か國くらいにいて、基地があるところは必ず映畫もかかってる。その國が英語圏でなくても通用するわけよ。
「這也行不通。日本不是英語圈。在英語圈原本高風險高回報就是成立的。因為可以在全世界上映。美軍駐紮在全世界大約150個國家中,有基地的地方一定會有電影。即使那個國家不是英語圈也能通用。
ただ、それは仕方のないこと。別にグローバルになる必要はないんだよ。日本語が分からなくても日本人が分かるものを作ればいいだけで、そっちの方が本當はずっと価値がある。日本人にしか分からない江戸時代劇でも、世界中どこに行ったって、分かる人には分かるんだよ。そこが打って出る幕なんだけど、カンヌだベネチアだと、海外の評論家の好みに合わせて作ったものばっかり。自分たちはどこにいるんだか」
只是,那也是沒辦法的事。沒有必要面向全球。即使不懂日語,只要做一個日本人能懂的東西就好了,其實這樣才更有價值。即使是只有日本人才知道的江戶時代劇,全世界無論去哪裡,懂的人自然能明白。這才是要弘揚的東西,但無論坎城和威尼斯國際電影節,都是根據海外評論家的喜好製作的電影。我們自己的東西在哪裡?「
――井筒監督の考える映畫とは。
—井筒導演認為的電影是什麼。
「映畫の歴史は戦爭の歴史と重なってる。もともとは戦地の記録フィルムを、自分とこのおとっつあんや息子が寫ってないか、安否を確認しに見に行ったんだよ。初期の映畫は物語を見せて楽しませるより、せいぜいアトラクションか、戦爭の実相を確かめる記録でしかなかった。それがあるときから、小説みたいに物語を作ったらどうだとなって、ストーリーテラーが始まった。そこから今日まで120年、いろんなおとぎ話、空想物語が作られてきた。
「電影的歷史和戰爭的歷史重疊在一起。我本來是去看戰地的錄像帶,確認自己和老爹以及兒子有沒有拍到,是否平安。初期的電影與其說讓人看故事,不如說是助興節目,或者是真實記錄戰爭的真相。突然某個時候,如果像小說一樣編故事會怎麼樣,就這樣小說家誕生了。從那時到今天過去了120年,創作了各種各樣的童話、空想故事。
日本はいまだに小説や漫畫を元にした絵空事のウソ話ばっかり撮ってる。今日び、歐米では『ディス イズ トゥルーストーリー』って頭に書かないと客が入らないくらいだからね。日本ではほぼ無しでしょ? 『これは実話です』って映畫。俺らは実際の事件や出來事を取材しまくって、それを元にして映畫を作るけど、そういう作り方をしてる人ってなかなか少ない。イージーマネーを稼ぎたい3000萬しか出さない製作委員會の會社はそれが真実かどうかなんてどうだってよくて、適當な出版社の漫畫原作でいいわけよ。そこが違うんだよね、物語の作り方が。取って付けたような物語か、実際にあった出來事なのか。
日本現在還老是拍改編自小說和漫畫的虛構故事。到了今天,在歐美,如果不在頭上寫「真實故事改編」的話,觀眾都不會進去。在日本幾乎沒有吧?「這是真實的故事」這樣的電影。大量採訪真實的事件和情況,以此為基礎製作電影,在日本這樣的人很少。只想賺3000萬快錢的製作委員會的公司不會管這是否是真實的,隨便找個出版社的原作漫畫就可以了。完全不一樣吧,故事的製作方法。是假的的故事,還是實際發生的事情。
日本人は漫畫が好きだから、ウルトラマンでもゴジラでもドラえもんでも、虛構からしか出発してない。でも、江戸期の戱曲はけっこう本當の話が多かった。忠臣蔵も四谷怪談も心中物も実際にあった話で、いわゆる報道特集だよ。だから、ヒットして、芝居になって回ってたんだけどね。ドキュメンタリーを作りゃいいというわけじゃないけど、いつの頃からか日本映畫はまったくの戱言になった。骨太な歴史モノ、事件モノが見事に消えたね」
因為日本人喜歡漫畫,所以無論是奧特曼、哥斯拉還是哆啦A夢,都是虛構的人物。但是,江戶時期的戲曲有很多改編自真實的故事。忠臣藏、四谷怪談、心中物都是實際發生過的,也就是所謂的報導特集。所以,很受歡迎,改編成了戲劇流傳。雖然並不是說製作紀錄片就好,但不知從什麼時候開始,日本電影完全成了胡說八道。紮實的歷史故事和真實事件都消失的一乾二淨了。「
■井筒和幸(いづつ・かずゆき)1952年、奈良県生まれ。奈良県立奈良高等學校在學中に8mmと16mm映畫の製作を始め、1975年、高校時代の仲間と映畫製作グループ「新映倶楽部」を設立。同年、ピンク映畫「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて、監督デビュー。1981年「ガキ帝國」で日本映畫監督協會新人奨勵賞、1996年「岸和田少年愚連隊」で第39回ブルーリボン賞 作品賞を受賞、2004年「パッチギ!」では、2005年度、第48回ブルーリボン賞 作品賞他、多數の映畫賞を受賞する。その他、代表作に「二代目はクリスチャン」「犬死にせしもの」「のど自慢」「ゲロッパ!」「黃金を抱いて翔べ」「無頼」など、様々な社會派エンターテインメント作品を作り続けている。
■井筒和幸1952年出生於奈良縣。就讀於奈良縣立奈良高等學校時開始製作8mm和16mm的電影,1975年,與高中的夥伴設立了電影製作小組「新映俱樂部」。同年,以粉片《行く行くマイトガイ・性春の悶々》(井筒和生 名義/後,1977年改為《ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々》,百萬公開),導演處女作。1981年憑藉《少年帝國》獲得日本電影導演協會新人獎勵獎,1996年憑藉《岸和田少年愚連隊》獲得第39屆藍絲帶獎作品獎,2004年憑藉《無敵青春》在2005年度,除了獲得第48屆藍絲帶獎作品獎之外,還獲得了多個電影獎。除此之外,代表作還有《小修女大流氓》、《使犬之死》、《一展歌喉》、《動起來》、《擁抱黃金飛翔》、《無賴》等,創作了各種社會派娛樂作品。
本翻譯為滬江日語原創,未經授權禁止轉載。
相關閱讀推薦:第一屆新潟國際動畫電影節,是否能成為動畫界突破的橋梁?